H18・10・30
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中国語を始めました。
つい3週間前まで、私自身も中国語を勉強するなんて考えたこともありませんでした。
それが今面白くて、何やらハマってしまった状態なのです。
このまま続けば半年もしたらぺらぺらになるかも、の勢い・・・・。
まあ、、そんなうまいことにはならないでしょうが、、、。
長い間アメリカ、ヨーロッパに憧れ続けた日本、
しかしずっと昔、この日本は中国にあこがれていたのです。
言葉を学ぶ中で、中国の歴史、そしてヨーロッパや日本との価値観の違いなど、
私の感動を伝えていけたらいいなあと思っています。。
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11・6 |
日本はいかに中国から大きな影響を受けていたか。
いや、影響なんてものではない。
言葉を学んでいくうちにそのことをいやというほど思い知らされる毎日です。
今まで日本らしいとばかり思っていた柳の木の風景,、これって中国の風景だったんですね。
日本だけの、海外に誇れる日本の自慢だとばかり思っていた障子(しょうじ)も暖簾(のれん)も
炬燵(こたつ)も、煎餅(せんべい)も豆腐(とうふ)も、皆漢語から来ていたなんて知っていました?
驚きと同時に、なんだか少々寂しい気もします。。。
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11・8 |
3ヶ月ほど前、なぜか急に中国の歴史を勉強しようと思い立ち、
まず手始めに息子の部屋にあった漫画を読むことにしました。
「水滸伝」、「項羽と劉邦」、そして今「三国志」の30巻目までたどり着きました。
いやぁ!それにしても、天下を統一するには悪役って必要なんですかねぇ。
日本の歴史にしても・・織田信長は延暦寺を焼き払うなど残忍なことをしていて悪役的。
歴史とは、そして人間社会とは理不尽だらけですね。。
天下統一が出来たのは劉邦や、人望の厚かった劉備、そして家康がすごかったからではなく、項羽、曹操、
そして信長の存在があったからこそなのだと、改めて考えさせられてしまいます。
「三国志」残りあと30巻、もうしばらく楽しめそうです。
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11・19 |
語学を学ぶことの面白さというのは、単に言葉を覚えることにとどまらないことなんですよね。
先日も図書館で見つけた本が 『中国語はおもしろい』 という、
このページと同じ題名に私は当然のごとくすぐに興味をそそられました。
その著者はもう25年も前から中国語のとりこになっているという方で、それだけに興味深い話題満載でした。
そして私もうんうんといちいち頷きながら読み進むうちに、とうとう究極の場面に出くわしてしまいました。
しかし今度は以前ほどは驚かない、「やはり・・・!」。
日本に来た外国人が一様に感動する京都。中国の文人たちが訪れたときには別の驚きを示すというのです。
建物の形から橋の欄干にいたるまで唐の影響を見、それが中国でははるか以前に姿を消したことを寂しそうに語るという。
文化というのは互いに影響しあって出来上がっていくもの。しかし日本の場合は島国だから特殊だったのでしょうね。
昔は船旅も命がけのことだったし、常にいろいろなところから影響されて少しずつ変化するという具合にはいかなかったのでしょう。
命がけで持ち帰った進んだ中国文化を、最高のものとしてそのまま受け入れて来た結果、ということなのでしょうか?
そんな風に勝手に想像をめぐらせていると、本当にますます興味が沸いてきてしまいます。
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12・16 |
最近のテレビはニュースにしろドラマにしろ中国とかアジア関係が多くなりましたね。
特にニュース番組では中国関係が多くなりました。
最近の飛躍的な中国の発展にわが国だけでなく世界中が注目せざるを得ないのでしょうが。
それだけでなくドキュメンタリー番組でも良く見かけるようになりました。先日も、友人に前述の京都の話をすると
なんと知っていたのにはびっくりしました。テレビの歴史ドキュメンタリーの類で放送されたとのことでした。
遣唐使にしたがって唐に渡った空海たちによって、当時国際都市としてにぎわっていた長安の都を模して作ったのが
平城京や平安京だった。長安の都の人口は当時100万もあり、世界中のありとあらゆる民族・文化・思想が
集まっていたそうです。
そういえば、今は人前で顔さえ見せないイラン人の美女(最近では若い女性たちは顔を隠すどころか携帯に夢中になるなど
ずいぶん変わってきているようですが)が、唐の時代には酒場でお酌をしていたなどという話も聞いたことがあります。
それにしても今は消え去ってしまった長安の都が日本の京都に残り、そしてそれが他国に自慢できる日本の宝物になっているとはねぇ。
そのようにして1500年もの長い間手本としてきた中国を、西洋に追随を始めた途端に180度背を向け、そしてまた思い出したように・・・。
話は違いますが、知り合いの中国人女性が先日言うのには、「最近の歌は中国も日本も西洋も皆同じでつまらない。
でも日本の演歌は日本らしくていい。」とのことでした。
カラオケ大好きな彼女にいつか演歌を聞かせてもらうのが楽しみなのですが、
ところでその演歌って、どこから来たのでしょうかね?
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12・23 |
先日の演歌の話、広辞苑で調べたらちゃんと載っていました。
「明治、大正時代、自由民権運動の壮士たちが演説代わりに歌った壮士節に始まったもので、後にこれが
政治から離れてだんだんに流行歌へと発展していったもの」 だそうです。 良かった〜!
インターネットで「演歌」を検索するといっぱいありました。演歌命という方たちも多くいらっしゃるらしく、心強い限りです。
紛れもなく日本で生まれたらしいこの演歌が、いつか世界中の人達に歌われたら楽しいでしょうね。
前述のカラオケも日本人が作ったものですが今は世界中の国々で楽しまれているようです。すごいことです。
カラオケ暦30年という人が10年前にニューヨークで歌ってきたそうです。
その彼いわく、アメリカ人はさすがにのりが違うんだそうです。 歌が上手かろうが下手だろうが大げさなジェスチャーで、歌う前からピーピー、ヒューヒュー他人を盛りたてることにもピカイチ。 彼もノリノリでプレスリーを歌ってきたそうです。 5ヶ国語でカラオケを楽しんでいるその彼がぼそりと、「今度北京でカラオケしてみたいなぁ。」
「えっ〜!カラオケしにわざわざ北京まで!!」 その発想に私もつい笑ってしまったのですが、
考えてみればかの地の美味しいものを求めて旅行に出かけるのと同じ発想ですものね。
シャイな日本人が作り上げたカラオケ文化を、ニューヨークでもずいぶん様子が違っていたようにそれぞれのお国柄の人達がどのような
楽しみ方をしているのか、ちょっと興味が沸きませんか?
ところで、日本のカラオケでは中国語の歌は電話帳程のメニューの中でたったの1ページなのだそうです。
それでもあればまだいい方なのだとか。
多分これからなんでしょうね。そのうちどっと押し寄せて来るのではないかと思いますよ、きっと。
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H19・4・2 |
NHKの中国語講座では1月から3月まで、ラジオもテレビも映画の話題でした。
お蔭様で今度は映画に関心が・・。「墨功」「さらばわが愛・覇王別姫」「人生は琴の弦のように」「始皇帝暗殺」「LOVERS]「西太后」・・・。
それと、先日図書館で見つけた中国制作歴史ものビデオたちには大いに楽しませてもらいました。中でも「司馬遷」は、
史記があれほどまでに大変な思いをして後世に残すことが出来たものだったとは・・・。
映画を通じて中国の歴史や文化を、私にとっては無知に等しかっただけにそれらに触れるたびに驚きとともに新鮮な感動でした。
国交回復してから35年も経っているというのに、関心がなさ過ぎたなんて本当にもったいないことをしました。
映画では「さらばわが愛・覇王別姫」が、さすがに世界的にヒットしただけあって見応えがありました。
この覇王とは「項羽と劉邦」の敗者項羽のことだったのには驚きましたが。
以前に中国の人から、劉邦よりも項羽の方が中国では人気があるんだという話を聞いたことがあるのですが、なるほど
なるほど、京劇の題材となって長く人々に親しまれてきたというわけですね。
それにしてもこの映画、思わず目を背けてしまったほど残酷な場面が数箇所もあるにもかかわらず、見終わってしばらくすると
いやな場面が奥に追いやられて登場人物の人間味のほうを前面に感じていたのには不思議にさえ思いました。
中国も大変な時代を経験した後だけに、やはり人々に訴えかけるものがあるということなのでしょうか。
そういえば、ハリウッドの映画作りとは、今どんな映画が売れるかを徹底的に市場調査をして作られるそうですね。
それにもかかわらず最近は映画の題材自体にも困っているらしいです。
実は3年ほど前に見たハリウッド映画で、確か何か受賞した映画だったと思いましたが、
何であのストーリーにあの場面が必要なのというような、いやな場面だけが未だに残ってしまっているのです。
売れるための映画づくりと訴える映画づくり、違いはきっとその辺なのでしょうか。
中国映画はこれからものすごい勢いで日本に、そして世界に発信していくことでしょう。
4千年の歴史を持つ中国では題材に困るなんてことはきっとないのでしょうが、
これから先ますます発展が続く中でもいつまでも、感動できる映画作りが続いてほしいものですね。
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7・12 |
中国語を始めて早9ヶ月が経ちました。未だ興味は衰えてはいないようです。
しかし一人で頑張るには限度があるかなという気持ちもあり、今年4月から地域の中国語サークルに入りました。
サークル名は「中国語を楽しむ会」。名前のイメージからどこか安心感を覚えて入ったものの、、
気付いてみればレベルは高く今現在は大いに刺激をされているところです。
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9・30 |
中国旅行へ行ってきました。
会では一年に一度研修旅行をしているのですが、今年は江南に、私も参加することが出来ました。
1年間あこがれ続けた中国大陸に降り立ってまずその第一印象は、やはり、「大き〜い!!」
そして何よりも、中国と日本はつながっていたのだと改めて確信してきた旅でもありました。
隋の時代に作られた京杭運河(北京と杭州を結ぶ)によって大いに栄えた江南地方。
遣唐使と一緒に海を渡った空海も、長安への旅の途中4ヶ月ほどもこの地に滞在したのだそうです。
江南地方は又中国人にとっても行ってみたいところの一つなのだそうです。
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